the other side of xxx

その時は唐突に訪れた。

 

あることに光と陰があるなら、今日の話は自分が陰側だと思う。詳細は書かない。なら全部書くなよって話だけどまあ誰も読んでないからw

 

理解するのを避け続けていたわけではないし、避けなかったところでとことん理解をするのは難しいと思うのは光側に立ったことがないから仕方ない。

 

たまたま観てたAmazonプライムで光側の人々を担当してるお医者さんのドキュメンタリーを見つけて何故か観ようと思って観てみたんだよね。

 

その手のことを避けるようになって15年くらい経つのかな。

ある光側の患者さん夫妻のブログが刺さって抜けなくなったんだよ。ああ、陰側なんだよなぁと思い知らされもした。二度とこういう目には遭いたくなくて(選択権はほぼ家族にあるけど一応どこかにはnoの意思表示がしてある)わりと長いこと見るのも聞くのも一切を拒否して避けてきた。

 

その間何度かぐらぐらはした、基本優しいので(w)ずっとずっとやっぱり考えてた。必死だったり悲痛だったり光側に立とうとする人の声は理解できるから。

 

ドキュメンタリーを観た後で本読んだ、そのお医者さんがキツいブログのご家族にも触れていたから。そんでこの時間だわ。(am4:30)

 

やってよかったかと言われたらそれを見聞きした今でもnoからyesに変わることはない。すぐには。

 

でも、刺さるブログのご夫妻が経験してきたことの重さは理解ができた。

 

発端となった自分側の出来事はよくよく話を聞いて決めたにもかかわらず「聞いてねぇよ」ってことが直後にもその後何年にもわたって、ぱらぱら出てはうんざりした。

 

冷やす処置と言われていたものは損傷を広げる可能性のあるものだったり

いやすでにダメになってるんだから損傷もクソもないんだけど

 

…違うじゃんて思うじゃん。それでもよ。

 

いろいろいろいろ、大混乱と深い悲しみの中で聞く話なので食い違う、行き違うこともあったと思うけどね。でもあそこまで諸々慌ただしいと聞いていたら決めたかどうかわからないくらい普通とは違う流れになってしまったことはなかなか忘れられない。

 

気持ちは変わらん、簡単には。理解はできるからぐらぐらするけど。

 

でも心がもう一度yesに傾くなら無理にやってよかったと思うようにすることは絶対にせず、恨み言はしっかりぶつけて心の負担を減らして見守ろうと思う。

 

そしてその決断をよかったとは外に向かって言わない、と。できなかったとしてその気持ちも尊重されるべきだと思うので。他人のことなんか考えてる暇ねぇよってとこに話は降ってくる。

 

陰側からはよかったor悪かったも元気になれたのかもわからんしね実際。光側の人の好意で知らせてもらえることもあるらしいけど、まあ元気になった光側から陰側にかける言葉なんて見つからんだろうと思う。

 

今後については光側の人々でがんばってねと思う。手を貸すことはたぶん、ない。