近の況

コロナ禍は少なからず自分の環境に影響を及ぼした、がしかし。

わたしにはあまり影響がなかった。環境を変えることで性分への影響を極限まで減らしたからだ。

 

仕事はコールセンターから雇われ畑仕事にw  3年ほど前の話。その当時まだエア口ゾル感染と断定されてはいなかったがどう考えてもコールセンターはやばい、オフィスはダメだと思ったのだ。

いろんなことが想定から大きく外れることなく感染は増加の一途、しかし屋外仕事でマスクもほとんどすることなく。(反マスクではないよ、むしろソーシャルディスタンス程度の距離なら必ずマスク。)それでも今日までコロナを他人事として捉えられる程度には縁遠い感じで過ごしている。

 

娘は専門学校を中退した。

デザイン系専門学校の特別授業で来た外部の先生がⅴR関連の話をしたときにこれだと定めてしまったらしい。ところが専門学校の先生はMayaを教えてはいるものの精通しておらず、娘の方が詳しくなってしまった。

特別授業で来た先生にどうしてもH〇〇〇〇で働きたい、そのためにはどうしたらいいかと質問したら「採用してもらうのにどんな勉強が必要か会社にメールしてみたら?」と。

それでもメールは3日くらい迷っていた。

相談も何度もあった、一貫してここで考えてもわからないから、礼儀だけは尽くして質問すりゃいいじゃないのと返事し続けた。

そして彼女はメールをし、先方の担当者さんがノリノリでやり取りしてくれ、アルバイトで採用してもらった。学校に通いながら。

ところが先述の通り学校ではMayaで教えてもらえることは何もなくなり。学校に通う時間が勿体ないとなってしまった。

それでも一旦は休学を薦め、費用を払って休学。その後すぐ、本当にすぐ、行きたかった会社に外部委託の形で採用が決まり、そのまま退学した。

1年で130万くらい学校に払い込んだんだけどなぁと思わなくはなかったが、卒業は目的ではないと考えるので問題はなかった。

そこで出会った上司とお付き合いすることになり、会社にも近いので同棲する形で東京へ。業界的に全然リモートでもできたんだけども、まあ実際に見るってのもいい経験になるだろうし。同棲には少なからず抵抗はあったものの見る目も養ってもらいたいしなぁと。

高校の時の仲良し、生徒会長に引越しを手伝ってもらい旅立った。5月が来たら1年、万事順調らしいので一安心。子育ても終わりだなぁ、と寂しくもある。

子育てはいい思い出ばかりではなかった。そりゃあもうどうしたらものかと悩むことが3年に1度くらいあったと思う。数は少ないものの一発がでかいのだ。

それでも歩んできた後ろには温かい道ができていた。あまり振り返らずに来たけれど、娘の旅立ちに際しては自然に振り返るフェーズが何度も巡ってきた。

 

そして今、子離れすべく移住の準備を進めている。娘誕生の3週間前に実母が亡くなり、祖母の介護を引き継いだ。仕事上の地位も少しづつ上がってきていたが諦めざるを得なかった。やりたいことは宙ぶらりん、その上家事育児は丸投げで恨みは消えず娘旅立ちと同時に離婚した。収入面でも困るわけではなかったし。我慢の理由もなかった。

田舎でぽやぁんと、どこかの畑の手伝いして日銭を稼ぎふわっと副業と自分が食べる程度の畑を。娘に迷惑をかけることなく畑の土に還るような生活がしたい。

 

いくつになっても漕ぎ出すタイミングというのは訪れるらしい。若い時よりは減るけどw

そして長い人生のうちには道草を食うチャンスは何度でもあるものなのだとこの歳になって改めて知る。

 

いつでも伏線の回収はできる物語、自分の物語。