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今やったら絶対違う感想を持つんだろうなと思うのがsec◯nd life。
なんでそんなことを考えたかというと、子の話してたぶいけっとに対する苦言の話からつらつらと繋がっていくんだけども。
ぶいけっとの話はちょい前にした、すごいキラキラ空間が広がってて歩いてる視点だけでも楽しかった。
そしてぶいあーるちゃっとにはHomeKitがあると聞いた。
なぜ2nd lifeに馴染めなかったかというと、家がなかったからなのかなあとふと思ったんだよ。
いきなり異国人が跋扈する空間に放り出されて何をしたらいいんだろうなあというのを解消できないまま誘ってくれた知ってる人としか話さない、その人もさして目的があるわけではなかったので
雑談だけならべつに2nd lifeじゃなくてもよかったっていう…
ふたりで喋ってると異国人が英語で喋れやバカタレがと罵声を浴びせてくるとか一度や二度ではなかったと思うw
人というよりエイリアンとしてぽとっと落とされた世界を観てたような気がする。
しかしひとりの時に英語で言い返すと一気にコミュニティは広がった。それでも全く違う感覚をすり合わせるようにお互いの話をするのはめんどくさかったw
最初から家があったら違ったんだろうな、あつ森みたいに。その世界でできることを頑張ったら家が大きくなるとか。今やあつ森はブランド服ブランドコスメでハチに刺され落とし穴に落ちられるという新感覚。あれもすごいよね。
リアル手足や感覚がその世界に馴染むのに、家があるとないとでは大違いな気がする。帰属意識を持ちやすいとか。
最初に戻ると。
苦言の内容としては、ガワを作った人々がワールドにいないのはおかしいとか、そんな話。
建築に置き換えると設計した人がその建物にいないのがおかしいって話と同様でそんな話をしてくるオマエがおかしいってことになると思う。
そうならないのはガワではなくて作者込みのコンテンツと思われているということなんだろね。
その勘違いを解消するとしたら家というのはキーになるんじゃないかなと思ったんだよ。
今のところ作者さんサイドの魅力もPRに貢献しているのでなかなか難しいと思うんだけども。
主体を自分に切り替えるのに好きなように弄れて好きように過ごせて、そこをベースに行きたいところに行くってプロセスは大事なんじゃないかと。
野蛮な罵声を浴びずに感覚を整える場所があったら違ったよなあとかw
某据置ゲームにも謎の仮想自室みたいなんあったよね。後にぶいあるついたやつ。あの謎の自室はそういうことか、と今日思ったりもした。
「見たことない世界を作ってもらったんだから、そのガワを精一杯楽しめばいいのにその上なぜ運営の人と触れ合いたいのか」
言いたいことはわかるんだけどね…
すぐには難しい気がするなあ。
どうなんだろう。
いろいろあっちの世界はコレカラなのだなあとわくわくしてしまう。
いずれちょっと前に書いたumの施設(実物と前提っていうタイトル)もこういう世界にできてくるんだろうなと思うと
楽しみ。気兼ねなく観れそう。
おしゃべりしながら鑑賞しても迷惑かからんとか。超顔近づけて見られるとか。